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治癒の法則:エドガー・ケイシー療法

これは私たちを、急性の炎症と発熱を伴う疾患についての考察へと導く。

これまでいわれてきたことからすると、炎症と発熱は疾患の二次的な現われだということになる。

何らかの健庚に対する敵がいても、自然が打ち負てなくしてしまおうと努めるとどんな形の炎症性の疾患も体内に生じることはできない。

治癒の基本法則は自然のこの事実に基づいている。

「私に熱をくれればどんな病気でも治せる。」

「医学の父・・・であるヒポクラテスは、2千年以上前に治癒の基本法則をこのように表現した。」

私たちはこの同じ法則を次の文で言い表わすことができる。

「急性の疾患はすべて自然の浄化及び治癒努力の試みの結果だ。」

つまり、これらの法則を広く一般に応用すると、ありふれた風邪から、はしか、猩紅熱、ジテリア、疱瘡、肺炎等すべての急性の病気は、傷を治したり、病気を起こしたりする何らかの物質、あるいは健康及び生命にとって危険なその他のあらゆる微生物を、体から除去する自然の努力だということになる。

エドガー・ケイシー・リーディングは次のように言っている。

4. In the nerve tissue and centers we find much of this strain comes, for this is involved in the circulation and the dissimulation of those forces, as an element in the system brings these strains on the various portions of that governed by the circulation in its course through the system, and attacking those portions that are the weaker or as the cycle of vibrations change in the cellular producing or produced portions of the body for the use in the physical forces.

The centers involved direct we find come from the tenth and eleventh dorsal.

These we find feed those tissue and nervesupplied to the intestinal tract, so that the system has gradually come to absorb these toxins from the system, and being carried then in circulation distributed to various portions of the body.

There are different conditions locally that assist in this, this centers and this intestinal condition, near the Peyer's gland region; however, being that from which the condition has arisen.

This we see in turn has affected the pneumogastric and hypogastric centers, until the hepatic circulation through kidneys has become involved.

Hence to the portions of the system, where the glands, as in tonsils and thyroids, have become involved and produced local conditions. 

4517-1

以下は甲状腺と扁桃腺炎の有る人のリーディングです 

「特定の部位の使用に供するために細胞本体の波動のサイクルが変わると、弱い部分が攻撃される。」

「直接かかわっている中枢は第10胸椎と第11胸椎である。これらは腸管に至る組織及び神経に栄養を与えているので、体は次第にそれから毒素を吸収するようになった。それがが血液循環によって体の様々な部分へと運ぱれ分配されているのだ。」

「パイエル板(小腸粘膜にある集合リンパ小節/)付近の腸の病気が原因だ。これが次に肺胃及び下腹部の中枢に作用して、肝循環から腎臓まで巻きこまれるまでになったのだ。」

「それゆえ、扁桃腺と甲状腺が巻き込まれて局所的な病気を起こしているのだ。」[4517-1]

「排泄の妨害、毒素及び有毒な力が体から除去されない傾向が、運動器官の神経に圧力を加える結果を持たらしている。」[1612-4]

「より多くの生命力をよみがえらせる助けとなる食事を行なうことからまず始めなさい。食べすぎて体をいわば(かす)の穴蔵にしてはならない。体が吸収し、体内にとり入れられる力を使い果たすに充分な量を摂取するにとどめなさい。」[626-1]

すなわち、人間の生命にとって好都合な条件のもとで生さている完全に正常で健康な体では、急性の病気は発現し得ないわけだ。

こんな質間が出そうだ。「・・・急性の病気が自然の治癒の努力を表わしているなら、人々が急性の病気で死ぬのはなぜなのか?」これに対する答はこうだ。

活カが少なすざたり、傷や病気を起こす厄介者が大きすざたり、治療法が不適当あるいは有害だったりして、自然が闘いに負けてしまうからだ。

それでもやはり、急性の病気は、健康及び生命の敵を打ち負かして正常で健康な状態を再び樹立しようとする自然の努力を表わしているのだ。

病理学の最も進んだ研究は、炎症の建設的な特質を認めている。だが、急性の病気の治療ということになると、多くの医者はこの病理学の基本原理を完全に忘れ、

炎症と発熱をそれ自体が健康及び生命にとって有害かつ破壊的であるかのように治療するようだ。

この理論と実際の不一致から、逆症療法的な医療のすべての誤りが生じている。


自然な治癒の哲学が治癒の基本法則を見失うことは決してない。


逆症療法は急性の病気を、健康や生命にとって本質的に有害で敵対するもの、薬やメスによって「治す」(「抑制する」と言うべきだ)ベきものと見なす。

一方、自然な治癒は、その単純で自然な治療法によって、炎症性で発熱を伴うプロセスの進行を変えて安全な範囲内に保つようにしはするが、有害な薬物、血清、消毒薬、外科手術、暗示、その他のいかなる治療法によっても、これらの急性の反応を食い止めたり抑制したりすることは決してない。

発疹、はれもの、潰瘍、カタル、下痢、その他のすべての形態の炎症性かつ熱性の病気は、生命や健康に敵対する何かが体内にあるが、自然はそれをこれらのいわゆる急性の病気によって除去ないしは克服しようとしているしるしなのだ。

それなら、有害な薬物や外科手術でそれらを抑制して何になるのか?

このようなやり方は、自然が浄化の作業を遂行して治し、を達成するのを許さない。急性の反応によって自然が除去しようとした病気を起こす物質が体内に戻され、さらに悪いことには、薬物の毒が病気の毒に加わることになる。致命的な合併症が起こったり、急性の病気が慢性の病気に変わったりすることに、何の不思議があろうか?

私たちは、いわゆる急性疾患は自然の浄化及び治癒の努力であることを学んでさた。

すべての急性の反応は、生命力方の働きが増大した結果、痛み、赤み、はれ、高熱、速い脈博、カタル性の分泌物、発疹、はれもの、潰瘍を伴う発熱及び炎症の状態が起こっていることの表われだ。

逆症療法はこのような生命力の猛烈な活動を、それ自体が有害であるとみなす。

「あなたはなぜ毒を与えるのですか?」という質間に対する逆症療法の答は、

通例、「薬物が毒を含んでいるのは、薬物の毒が病気の毒を殺してなくしてくれるからです」だ。

しかし、薬物の毒は生命力を麻痺させる役割を果たすだけで、それによって逆症療法のあてにならない結果が得られるだけだという主張がある。

実際、有害な薬物ほど生命カを麻痺させて重要な臓器をだめにするものはない。

合理的で自然な治療の影響下で有害な刺激物が血液並びに組織から排除されると、局所的な症状はひとりでになおる。

それがにきびかガンか、ありふれた風邪か肺炎か、あるいは1930年3月2日に行なわれた[3886-1]の人に関する

次のような症状かは関係ない。

この症状の予後は・・・貧血だ。

「そうだ、ここにその体がある。さて、この体の肉体的な力の妨害の原因となっている固有の性質の障害があることがわかる。これらの障害は体内での吸収に関係がある。このため、体をつくったり栄養を補給したりする力をとおし、体内にあるのがわかる緊張と全身が貧血に向かう傾向が生じているのだ。」

「血液供給について、これは体を再建するための正常な量よりもやや少ないが、これは、乳び管の部分にあるこの体に固有の状態が原因だ。そこで炎症が起こっているので、肝臓に苦痛が見られ、体の上部に熱が生じ、突然の変化と吐き気が起こるのだ。これらはうっ血、つまりは風邪が原因の炎症によってひき起こされているのだが、特に腸管の中の粘膜あたりにそれが集中している。次に消化不良だが、排出器官とリンパ液の循環の働きに、大腸内の働きが伴いつつある。これが体外循環を高めている。」

「神経の力についてこの炎症が交感神経系の中枢に、神経の力つまり、神経自体の中にある力であって、体の精神的力ではない力−から不合理な力を生じさせている状態を生み出している時以外は、これらは非常に良好だ。」

「機能している臓器についてこれらは、見てわかるように、そこに生じているストレスを受けながら機能している。また第8胸椎及び第9胸椎にも、軽症ではあるが明らかに病変があるのがわかるだろう。これがその程度に起こっているのは・・・ひねり、つまり機能低下が起こっていた最初の原因と同じくこの部位から体にエネルギーを供給することによって、体が順応しようとしているためである。」

「そこで・・・これらが是正されなけれぱ、管のあるところ、あるいは正常な働さの行なわれていないところなら体のどの部位でも、そこ全体に障害が起こることになるだろう。その部位とは、腎臓の一部や、虫垂のあるあたりや、腸下部付近の腹腔の中や、咽喉、気管、その上部あたりだ。これらは炎症の中枢で、その状態を体から排除せねぱここから広がっていく。この体は、時によって、たいへん良好な状態だったり、熱が出て全身に混乱した状態をつくり出したりする。」

「症状そのものにたいし治療を行うときは身体を静穏な状態に保たなければならない。アルカリ性の反応を示す防腐作用のある物質を体内に入れておきなさい。私たちなら、胸椎のあたりのこれらの病気を是正し、体のあれらの部位を、神経伝導力の働きを通じて、また特に運動器官によって活動の生じる体のあの部分を通じて、協調している状態に保つだろう。その部分からアルコールが燃焼されるなら、少量の発酵酒を使用するのがよい。これをすれぱ体の熱が和らぎ、下がりさえするだろう。」

「オリーブ油の没薬とサッサフラス油(樟脳科の揮発油の一種/揮発油の一種)を・・・等量ずつ使って、脳脊髄系全体に沿って毎日マッサージしなさい。熱がある時には、アルコールで同様にマッサージすれば熱が下がる。

これは外用だ。

内服用の防腐物質には、私たちなら糖分を用いるだろう。腸の熱を下げ、過度に炎症を起こさずに腸のかすを運ぶのを助けるため、油浣腸もするだろう。これを行ないなさい。」

「栄養価は、カンキツ類の果汁か野菜ジュースのもの、そして時々は食品というよりは薬としての・・・ビーフジュースでなければならない。そうすれぱ、体がもとの正常な状態につくり直される。

正常に近づくのにせいぜい10日から2週間しかかからないはずだ。」

「必要な調整を行なう際には、また手技及びマッサージで必要な熱さましを行なう際には、過度に激しくやってはならず、静かに行ないなさい。それによって、体が刺激され、ここの部位、あるいは菅の炎症が原因で生じる苦痛が緩和される−これは既に言ったことだが。」

自然の中の至るところを、作用、反作用の大法則が支配している。すべての生命は、与えることともらうこと、作用と反作用の間を揺れ動く。生命の呼吸そのものが、リズミカルな流れの中を神秘的に行ったり来たりしている。母なる地球の胸も、波うったり静まったりしながら、干満を続けている。

この法則は、そのいくつかの側面において、二次的結果の法則と呼ばれる。この作用に依存するのはエネルギー保存だ。

偉大な主は、「与えなさい、そうすればそれはあなたに与えられる−」と言われた時、この法則の倫理的な応用を表現されたのだ。

二元約結果の大法則は治癒の学間の基礎を成す。

この法則は、健康、病気、治癒のあらゆる現象に関係し支配する。

治癒の基本的法則は、系統たてて述べるとこうなる。

「すべての急性の病気は自然の治癒の努力の結果である。」

そしてこれは、作用反作用の大法則を言い変えただけだ。

危機とか急性の反応とか急性の病気とか呼んでいるものは、実は健康な体を確立しようとする

自然の試みなのだ。

補償の法則を体の物理的な働きに応用するとこうなる。

「人体に影響を及ぼす作用因はすべて、二つの効果を生み出す一つ目は明白で一次的な効果、二つ目は永続的な効果である。二次的で永続的な効果は常に、一次的で一過性の効果とは相容れないものである。」例えぱ、皮膚に冷水をかけることの最初の一次的な効果は、血液を内部に送ることだが、自然は局所的な放血を補償するために、もっと大量の血液を表面に送り返すことによってこれに反応し、その結果、ぬくもりが増して表面の血液循環がよくなる。

熱い風呂の第1の効果は血液を表面に引き出すことだ。しかし二次的な効果はその血液を内部に送り返すことなので、表面に血液がなくなって冷たくなる。

したがって、刺激物は生体の生命エネルギーの備蓄を燃焼し尽くすことによって偽りの効果を生み出すわけだ。

後には必然的に、先の刺激に正比例した弱さと疲労がやってくる。くつろぎと眠りの一次的な効果は、弱さと無感覚と死のような昏迷だが、二次的な効果は活力の増加だ。さらにいえば、二元的結果の法則はすべての薬物反応を支配する。有害な薬物を生理学的用量投与された場合、最初の一次的で激しい効果は、たいていはこれらの物質に打ち勝って排除しようとする自然の努力が原因で起こる。

二次的で永統的な効果は、薬物の毒の体内での保持とそれらが生体自体に及ぽす作用が原因だ。

逆症療法では、理論でも実際でも、薬物及び外科手術の最初の影響だけを考慮して後続作用は無視する。したがって、作用反作用の法則によると、それらの療法の二次的で永続的な効果は、人体に目下存在する病状に似たものであるにちがいない。緩下剤や下剤は慢性的な便秘の状態を生み出す傾向が常にあるというありふれた日々の経験は、私たちに前記の事柄が正しいことを教えている。

いかなる種類の刺激物や強壮剤であっても、その二次的効果は弱さの増大で、それらを継続して用いると精神力及び体力が完全に疲幣し、麻痺してしまうことが多い。頭痛薬、痛みどめ、麻酔薬、鎮静剤、催眠薬は、脳と神経を麻痺させて一時約な無感覚に陥らせるかも知れない。

だが本質的な原因のせいであるなら、痛み、神経過敏、不眠が、必ず倍の力で戻ってくる。これらの薬剤はすべて常用すると必ず心疾患と麻痺をもたらし、ついには「麻薬中毒」にしてしまう傾向がある。

風邪及びカタルの治療薬は現在市場で手に入るが、これらは、呼吸器系の管の粘液を含む

内層を通じて老廃物と病気を起こす物質を排除しようとする自然の努力を抑制し、病気を起こす物質を肺へと追い返し、これが肺炎、慢性カタル、喘息、インフルエンザをひき起こす。

水銀、ヨウ素、これらの代替となるその他すべてのものは、廃棄物の放出の抑制によって、最も恐ろしい部類の内科的慢性病をつくり出す。

このように正統派医療の薬剤による独奏会はずっと統くだろう。

一方、同毒療法(ホメオパシー)の教えと実践については別章で説明するが、これは作用反作用の法則と完全に調和している。

「毒をもって毒を制す」という同毒療法の基本原理に基づいて作用するもので

最初の一次的な効果が病状に似ている療法を行なう。そうなると、二元的結果の法則に従って、これらの療法の二次的な効果は病状と逆、つまり病気に効くものであるにちがいない。

治癒の法則は、無論、私たちは2人の主人には仕えられないという認識によっている。

「気を失うのは失望のためでなはい。むしろ失敗の中でも徐々に光のより大きなビジョン得るために使いなさい。

道をまっすぐにする光。そうであるから、自己が理想として設定した光の中を歩さなさい。汝らは神とマーモン(悪徳としての富の神)の両方に仕えることはできない。汝はいずれか一方に束縛されるだろう。多くの事柄について汝の物を忠告するのをたもちなさい。聞き上手、そして優秀な働さ手でありなさい。」311-8

Faint not because of disappointment. Rather use even failures as stepping-stones for gaining the greater vision of the light.

The light that makes the path straight. Walk,then, in the light that is set by self as the ideal.

Ye cannot serve God and mammon. Ye will be enjoined one to the other. Keep thine counsel in many things. Be a good listener, and an EXCELLENT worker. 

「自己の本質はなにをするのでしょう?汝の前には常に二つの道がしかれ、魂に選択が与えられる。それは、創造的な作用、つまり神の中に設定される理想と離れずにいるか、それと意志を一つにできるか、そして自己に起こること既に樹立されたことと、神の愛、法則、経験について、また、あらゆる関係において自己が何をするかについてで神を責めずに自己を責めることができるかどうかについての選択だ。」347-2

1. What may an entity do?

12. There is set before thee two ways, ever; and the choice is given to a soul as to whether it (the soul) chooses that in keeping with the ideals set in Creative Influences, or God, making the will one with, not blaming Him with that which comes to self, but self - as to what has been builded, and what self does about His love, law, and experience - in every relation.

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