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リーディングはどのようにするのか?

リーディングに関しエドガ−ケイシーが述べたことが「我が信ずること(What I believe) by Edgar Cayce」にのっています

リーディングをするためにまず服を脱ぎ、靴ひも、ネクタイ、ワイシャツの袖口そしてバンドなどをゆるめ、完全に寛いで、情報が完全に循環するような状態をつくります。

次に、事務所の長椅子の上に横臥します。

もし、リーディングが身体上のことなら、頭を南、足を北に向け、人生上のことなら、その反対の方向になります。

(足が南へ、頭がる北へ向きます。)向きに違いのあるのは、リーディングがそういうからであって、私が我はその理由を知りません。

見ていた人が教えてくれたことですが、気持ち良く横たわって、両手を額の方へ持って行き、第三の目があるといわれる場所に手を置いた。

おもしろいことには、私は無意識的、本能的に瞑想を行う初心者が使う方法を、最初から実行していたのです。

両眼の間の中間のポイントに私の手を本能的に置くことこそ、私が言いたいことなのであります。

そこで、数分間待ちます。

そして、ゴーサインとでもいうものを受けます。

光り輝く白色の閃光であり、時には金色になることもあります。

この光こそ、電流が通じたというサインになるのです。

もし、その光が見えないときはリーディングはできないことを意味しています。

光を見た後、私は両手を太陽神経叢の所へ下げます。

私の呼吸が横隔膜から、深くリズミカルになる、(見ている人によると)です。

これが数分間続きます。

私の目が閉じようとしてまばたきはじめますと(実際にはこれまで目は開いたままで、どんよりしている)、誘導する人物(コンダクター)が私に質問を受け入れる準備ができたと了解します。

そして彼は、私にゆっくりと、しかし明白に、質問をはじめます。

もし、それがたとえば、いわゆる医療リーディングであれば、リーディングを受ける人の名前が、その住所とともに私に教えられます。

次に、ちょっと間がおかれますが、たまには間が長すぎるため、コンダクターの指示がききとれなかったと思われるときもありますが、そのとき、再び同じことが繰り返して指示されます。

その後、名前と住所を非常にゆっくりと自分が繰り返し、それがすむと患者の容態などがのべられます。これが、私のリーディングの与え方であります。

私はその間中、全くの無意識状態です。

終わって意識を取り戻すと、幾分長く眠って起きたような感じがします。

そして、ちょっと空腹感を覚えるときが、ときどきあります。

それも、クラッカー少量とミルクの一杯でも飲みたいくらいの程度のものです。

リーディングの信頼性

価値はリーディングを求める人が情報の源泉をどれだけ信頼し、どれだけ固い確信を持っているかということに大きくかかっているということです。

もちろん、その価値は、何百回いや何千回というほど沢山、忠告を実行して得た良い結果によって、客観的に証明されているのです。

源泉については当然、私は私なりの見解を持っています。しかし正直のところ、31年間もこの仕事をしてきたのに、無意識状態のために、ほとんど知らないのです。

私(エドガー・ケイシー)が言えることは、すべて推測の域を出ないと言ってよいでしょう。

偉大な知識に対して、私は何も文句はつけられません。

私もまた手探りの状態なのです。

しかし、われわれは経験で学ぶだけです。

一歩踏み込むことによって、信念を持ち、理解を深めるようになるのです。

われわれには、まず経験をして、われわれの内面深く感応してくる何物かを拠り所にして事実を熟考し、結論に到達しなければなりません。

実際問題として、催眠状態のとき、私が傍受する情報の源泉は、ただ一つではなく、いくつもあるように思えるのです。

源泉の一つは、明らかに個人あるいは実在が、いわゆる時の経過の中で経験する記録の中にあります。

魂の経験の総合計は、アカジックレコードとして知られているものと同じように、各個人の潜在意識の中に書き留められています。

もし、自分を正しく波動調整できれば誰でもこの記録を読みとれるのです。

私は、自らの魂の波長を宇宙にひろがる普遍的な知識の源泉のそれに惜しみなく合わせきるため、自分の個性をも放棄してしまうことのできる数少ない人物の一人であることは明らかだと思います。

これは決して、誇張しようとして言っているのではありません。

また、他の人が先天的に持っていないものを自分は持っている、などということを言いたいのではないのです。

本当のことを言って、私が持っているものと同じ能力を持っていない人が一人だっているとは考えたこともありません。

人間はすべて例外なく、自分が気づいている以上の大きな力を持っているのは間違いないところであります。

ただし、これらの能力を開発するためには、自分個人への関心というものを喜んで超越するということがなければならないのです。

1年に1度でもいいから、自分の好みを一応外して、それから完全に超越することを、あなたは喜んでしてみたらどうでしょうか?

私を通じてくる情報は、話しかけることを望んでいる死者か、また他界した慈悲深い精霊や医者から与えられるものと思っている人がいます。

こういうことも場合によってはあるかも知れませんが、一般的に言って私は、いわゆる霊媒ではありませんとエドガー・ケイシーは述べています。

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